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西川史料研究 第3報 御領神社棟札の再読―全文翻刻・補読・現代語訳―

西川史料研究 第3報 御領神社棟札の再読―全文翻刻・補読・現代語訳―
目次

はじめに

前報(西川史料研究 第1報)では、『竜王町史』掲載の棟札写真を再検討した結果、本文では紹介されていなかった**「後花園院御宇」**の記載を確認するとともに、掲載写真と本文との対応関係について再検討の余地があることを指摘した。

また、第2報では、棟札冒頭に**「御領大明神」と記されていること、さらに明治初年の大福帳に「御領社中」**と記されていることを紹介し、御領神社の名称について考察を行った。

これらの検討を進める中で、改めて重要であると感じたのは、棟札本文そのものを詳細に読み解くことである。

『竜王町史』では、この棟札について「康正二年(1456)に再興され、その後元禄十四年(1701)に修造された」と紹介されている。しかし、棟札本文全体については翻刻や解説は掲載されておらず、判読可能な文字についても十分な検討は行われていない。

そこで本稿では、『竜王町史』掲載写真をもとに棟札を可能な限り拡大し、一字ずつ判読を試みた。その上で、翻刻・補読・読み下し・現代語訳を行い、棟札が伝える内容を改めて整理したい。

なお、本稿で示す補読については、判読可能な文字や棟札の定型表現を参考とした現時点での試案であり、今後さらに鮮明な写真や新たな史料が確認された場合には、再検討の余地があることをあらかじめ付記しておく。

棟札写真の概要

本稿で取り上げる棟札は、現在は現物の所在が確認できず、『竜王町史』第2巻(648・649頁)に掲載された写真によってその存在を知ることができる。

『竜王町史』本文では、この棟札について「康正二年(1456)に再興され、その後元禄十四年(1701)に修造された」と紹介されているが、棟札本文の全文翻刻や詳細な判読は掲載されていない。

筆者は第1報において、『竜王町史』本文と掲載写真を照合した結果、掲載写真と本文との対応関係に再検討の余地があることを指摘した。また、写真を拡大して確認したところ、本文では紹介されていない**「後花園院御宇」**の文字が記されていることを明らかにした。

さらに第2報では、棟札冒頭に**「御領大明神と記されていることを確認し、明治初年の大福帳に記された御領社中」**との関係について考察した。

本稿では、これらの検討を踏まえ、『竜王町史』掲載写真を可能な限り拡大し、棟札本文を一字ずつ判読することを目的とする。

なお、本稿で用いる翻刻は、写真から判読できる文字を忠実に記したものであり、判読が困難な箇所については「□」を用いた。また、補読については棟札の定型表現や前後の文脈を参考とした筆者の試案であり、今後さらに鮮明な写真や原資料が確認された場合には、再検討の余地があることを付記しておく。

御領神社棟札写真
図1 『竜王町史』掲載の御領神社棟札写真

棟札原文と翻刻

本章では、『竜王町史』掲載写真から判読できる文字を、可能な限りそのまま翻刻した。

原文(写真)

図2 御領神社棟札(『竜王町史』掲載写真)

図2 ① 御領大明神

図2 ② 後花園院御宇・康正二年

図2 ③ 元禄十四年

翻刻

図1の棟札写真をもとに、現時点で判読できる範囲を翻刻すると、次のとおりである。判読できない文字は「□」で示した。

御領大明神御社昔時建立之□□不□分明
其後中興 後花園院御宇 康正二年 造営
又再興至ル二百有□十六春テ 時 元禄十四年□□造営スト云云

※ 判読できない文字は「□」で示した。補読については次章で検討する。

棟札の補読

補読

前章では、棟札写真から判読できる文字のみを翻刻した。本章では、棟札に用いられる定型表現や文脈を踏まえ、判読困難な箇所について補読を試みる。

棟札冒頭には、

御領大明神御社昔時建立之□□不□分明

と判読できる。

本稿では、『昔時建立之□□不□分明』のうち、欠字部分については現段階では判読できないため、補読は試案にとどめる。文意としては、「昔に建立されたが、その由来は明らかでない」という趣旨を述べたものと考えられる。

また、棟札には、

其後中興 後花園院御宇 康正二年 造営

と記されており、後花園天皇の御代である康正二年(1456)に社殿が再興・造営されたことを伝えているものと考えられる。

さらに、

又再興至ル二百有□十六春テ 時 元禄十四年□□造営スト云云

と続く。

康正二年(1456)から元禄十四年(1701)までは245年であり、「二百有□十六春」は、この年数との対応が注目される。

以上の補読はいずれも現段階での試案であり、今後、より鮮明な写真や原資料が確認できれば再検討する必要がある。

補読一覧

翻刻補読案備考
建立之□□不□分明(補読保留)棟札の定型表現と比較検討
二百有□十六春二百有四十六春康正2年~元禄14年の年数と対応する可能性
元禄十四年□□造営(補読保留)判読困難のため今後の課題

補読の根拠

棟札には

又再興至ル二百有□十六春テ

と記されている。

康正二年は1456年、元禄十四年は1701年であり、両者の差は245年である。

1701 − 1456 = 245年

一方、欠字を「四」と補えば、

二百有四十六春

と読むことができる。

この数字は、康正二年から245年を経て迎えた246回目の春が元禄十四年に当たり、「二百有四十六春」と表現された可能性が考えられる。

ただし、欠字部分は判読できず、このような数え方についても現時点では十分な比較史料が得られていないため、本稿では一つの補読案として提示するにとどめ、
今後、他地域の棟札における年数表現との比較を含め、さらに検討を進めたい。

年代西暦
康正二年1456年
元禄十四年1701年
経過年数245年

読み下し文と現代語訳

読み下し文

御領大明神の御社、昔時建立の由、分明ならず。
其の後中興し、後花園院御宇、康正二年に造営す。
又再興すること二百有□十六春に至りて、時に元禄十四年、造営すと云云。

現代語訳

御領大明神の社は、いつ創建されたのか詳しいことは分かっていない。

その後、後花園天皇の御代である康正二年(1456)に社殿が再興・造営された。

さらに、それから約二百四十数年を経た元禄十四年(1701)にも再び造営が行われたことが記されている。

なお、棟札には判読できない文字が残るため、年数の表現などについては今後の検討課題である。

棟札の成立年代について

棟札の末尾には

元禄十四年□□造営スト云

と読める箇所がある。

もしこの読みに誤りがなければ、「元禄十四年に造営したという」と過去の出来事を伝える表現とも解釈できる

この棟札は元禄14年に書かれたものなのか。

それとも、元禄14年以後に神社の沿革を書きまとめたものなのか。

一般に棟札は、その造営や修造が行われた時点で作成されることが多い。しかし、本棟札が「……と云」と過去の出来事を伝える書き方であるならば、元禄十四年当時に作成されたものではなく、それ以後に神社の沿革をまとめて記した棟札である可能性も考えられる。

もっとも、現段階では写真のみからの判読であり、「スト云」の読解も確定できないため、この点については今後さらに検討する必要がある。

まとめ

本稿では、『竜王町史』に掲載された御領神社棟札写真をもとに、棟札本文の翻刻・補読・読み下し・現代語訳を試みた。

その結果、棟札冒頭には**「御領大明神」、中ほどには「後花園院御宇 康正二年」の記載が確認でき、さらに末尾には「元禄十四年」**の記載が認められた。

また、「二百有□十六春」と読める箇所については、康正二年(1456)から元禄十四年(1701)までが245年であることから、245年を経て迎えた246回目の春を表している可能性についても検討した。もっとも、欠字部分は判読できないため、現段階では一つの補読案として提示するにとどめたい。

さらに、棟札末尾の**「造営スト云」**と読める箇所については、元禄十四年当時に作成された棟札ではなく、それ以後に神社の沿革をまとめて記した棟札である可能性も考えられる。しかし、この点についても写真のみから判断することは困難であり、より鮮明な画像や原資料の確認が今後の課題である。

第1報では「後花園院御宇」の記載を、第2報では「御領大明神」および明治初年の大福帳に見られる「御領社中」の記載を紹介した。そして本稿では、それらの根拠となる棟札本文を改めて読み直すことにより、御領神社の歴史を伝える重要な史料であることを確認することができた。

なお、本稿は『竜王町史』掲載写真をもとに判読・補読を行った現時点での試案である。今後、原資料やより鮮明な写真が確認された場合には、翻刻・補読をさらに精査するとともに、他地域の棟札との比較を通じて、本棟札の成立年代や記載内容について引き続き検討を進めていきたい。

本棟札は、一見すると年代を記しただけの史料のように見える。しかし、一字一句を丁寧に読み直すことで、「御領大明神」「後花園院御宇」、そして経過年数を示す可能性のある記載など、新たな史料的価値が明らかになった。本稿が、御領神社ならびに竜王町西川地区の歴史を再考する一助となれば幸いである。

付記

本稿の翻刻・補読は、『竜王町史』第2巻に掲載された棟札写真をもとに行ったものである。

現在、町史編纂時に撮影された原写真や棟札そのものの所在は確認できておらず、本稿は印刷写真から判読可能な範囲で検討を行った。

また、『竜王町史』編纂時に収集された竜王町西川地区関係資料についても、現在その多くの所在が確認できない状況にある。

今後、原資料やより鮮明な写真が確認された場合には、本稿の翻刻・補読についても改めて検証し、必要に応じて修正・追補を行いたい。

第3報執筆後、『近江蒲生郡志』掲載全文を確認したため、第3報〔増補改訂版〕を公開した。

※本稿は継続中の研究の一部であり、今後の調査により内容を修正・追補する場合があります。

この記事を書いた人

旅に出て土地に流れる時間に耳を澄ませ、歴史の面影を今に伝える風景や文化を訪ね歩いています。近江の歴史を中心に、史料や文学にも親しみながら、各地で出会った風景や物語、人々の営みを書き留めています。地域に息づく記憶や文化の魅力を静かに綴る、旅と歴史の記録です。

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