平泉・中尊寺は、金色堂をはじめとする三千余点の国宝・重要文化財を伝える、まさに平安美術の宝庫である。
奥州藤原氏の栄華を今に伝えるこの地は、「旅」という言葉の中に、歴史と美術の両方を静かに忍ばせてくれる。
その中尊寺讃衡蔵で、源義経と弁慶を主題としたテーマ展が開催されていた。
義経主従にまつわる品々が並ぶ展示で、まず目を引いたのは、どこかで見覚えのある義経像だった。テレビなどでよく紹介される、あの義経像である。
その隣には弁慶像。
鋭い眼光、焦げた鼠色の肌。迫力は十分だが、正直なところ「弁慶はいったい何人いるのだろう」と思ってしまうほど、こちらの想像を大きく超えてくる強面である。
一方の義経像はというと、色白でなで肩。
揉み上げや髭はあまり整っておらず、眉の形もどこか不思議だ。烏帽子の収まりも美しいとは言いがたい。
いわゆる「英雄・義経」のイメージからは、かなり距離がある。
しかし、背が低く色白、やや反っ歯だったとも伝えられる義経の人物像を思い合わせると、この絵は案外、史実に近いのかもしれない。
口元だけが、かろうじて上品さを保っている――そんな印象を受けた。
とはいえ、常盤御前と源義朝の子である。
血筋を思えば、どこか釈然としない気持ちも残る。
展示を注意深く見ていくと、義経像と弁慶像には共通点が多い。
画面の大きさ、紙の折れ目の位置、そして描写の癖。
どちらの像にも強い折り目があり、ほぼ同寸で描かれていることが分かる。
実はこの二幅、もともと一対の絵であるという。
千葉市美術館で開催された「義経展」の図録に、そのことが記されていた。
義経は白い扇を、弁慶は赤い扇を手にしている。
義経を左、弁慶を右に並べると、義経の前に弁慶がひざまずく構図が自然に立ち上がる。
主と従、静と動、白と赤――対比によって関係性を語る、実に絵画的な演出である。
さらに、下書き線や修正の痕跡が残っていることから、完成作ではなく稿本、あるいは試作段階の作例ではないかとも考えられている。
よく見ると、義経の肩幅が後から狭められたような修正痕も見受けられる。
ここで、ふと違和感が湧いてくる。
天狗を相手に修行したとされる義経が、これほどなで肩でよいのだろうか。
おそらくこの像が描こうとしたのは、武勇の英雄ではなく、精神的な存在としての義経なのだろう。
弁慶の圧倒的な肉体性と対照的に、義経は儚さや高貴さを強調されている。
史実や伝説の整合性よりも、主従関係の象徴性が優先された結果とも言える。
中尊寺という土地でこの二幅に向き合うと、
義経は「戦の天才」ではなく、「物語として生き続ける存在」として立ち現れてくる。
旅先で出会う美術は、知識だけでなく、こうした小さな違和感を伴って記憶に残る。
それこそが、現地で見る価値なのだと、あらためて感じさせられた展示であった。
