額田王と大海人皇子のロマンスの舞台
蒲生野という場所
滋賀県竜王町にある「妹背の里」は、
万葉集に名高い相聞歌の舞台――蒲生野に位置している。
ここは、
額田王(ぬかたのおおきみ)と
大海人皇子(おおあまのおうじ)
この二人のロマンスが語り継がれる土地である。
あかねさす 紫野行き 標野行き
野守は見ずや 君が袖振る (額田王)
紫草の にほえる妹を 憎くあらば
人妻ゆえに われ恋ひめやも (大海人皇子)
この歌が詠まれた「紫野」「標野」は、
現在の蒲生野一帯と考えられている。
「妹背」という言葉
「妹背(いもせ)」とは、
愛し合う女と男、あるいは夫婦を意味する古い言葉である。
妹背の里という名は、
単なる観光的な命名ではなく、
この地に重ねられた人の情念そのものを表しているように思える。
額田王と二人の天皇
額田王は、もともと大海人皇子の妻であり、
二人の間には十市皇女(とおちのひめみこ)が生まれている。
しかしその後、
額田王は大海人の兄である天智天皇の妃となる。
一人の女性をめぐり、
兄弟である二人の皇子の関係は、
微妙な緊張を孕んでいく。
蒲生野の薬狩り
壬申の乱の4年前、
都が大津に遷された翌年の天智7年(668)5月5日。
天智天皇は、
群臣を率いて蒲生野へと出向いた。
男たちは巻狩りをし、
女たちは薬草を摘む――
華やかな行幸であったと伝えられている。
その場で、
今は天皇妃となった元妻・額田王に向かって、
大海人皇子が袖を振った。
それを見て、
額田王は歌を詠んだのであろう。
宴席の相聞歌
大津宮へ戻ってからの宴席で、
二人は堂々と相聞歌を交わす。
同席した人々は、
そのやりとりを面白がり、
喝采し、笑い楽しんだに違いない。
だが、
天智天皇の胸中はどうだったのだろうか。
槍を突き刺した皇子
『大織冠伝』(鎌足の伝記)によれば、
この歌詠みの直後、
大海人皇子が槍を床板に突き刺す出来事が起こったという。
天智天皇は激怒し、
大海人皇子を殺そうとさえしたと伝えられている。
鎌足のとりなしによってその場は収まったが、
後に起こる
大海人皇子と大友皇子の対立――壬申の乱を思うと、
この相聞歌は、
両者の緊張を象徴する出来事であったように思われる。
十市皇女という存在
額田王と大海人皇子の娘・十市皇女は、
天智天皇の第一皇子・大友皇子と結婚する。
一方、
十市の腹違いの弟である高市皇子とは、
姉弟でありながら深く愛し合っていたとも伝えられている。
禁断の恋――
そう呼びたくなる関係である。
もう一つの系譜
ただし高市皇子については、
大海人皇子の子とする通説とは別に、
『扶桑略記』最古の金勝院本に、
天智天皇第三皇子であるとする異説が記されている。
もし天智の子であったなら、
高市皇子と大友皇子は兄弟となり、
恋人を奪われた高市にとって、
大友は憎むべき存在となる。
壬申の乱で、
高市皇子が大海人皇子軍を統率し、
勝利に導いたことを思うと、
そこに個人的な感情が交錯していた可能性も否定できない。
妹背の里の春
いずれにしても、
額田王の子・十市皇女は、
父と恋人と夫が争う運命の只中に立たされた。
なす術もなく、
この世ならぬ苦しみを受けたであろうことは、
想像に難くない。
妹背の里の桜は、
今日はまだ七分咲きだった。
兄弟での三角関係――
やはり、因縁だろうか。

