滋賀県竜王町に所在する西光寺跡の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、
「この塔を見ずして他の宝篋印塔を語ることなかれ」
と評された、極めて評価の高い石造塔である。
宝篋印塔は、一般に「宝篋印陀羅尼」を納める塔と説明されることが多いが、近年の研究では、「宝篋印心咒経」を納める塔として成立した可能性が指摘されている。ただし、その成立事情や名称の由来については未解明な点も多く、必ずしも定説があるわけではない。
西光寺は、弘仁9年(818)、伝教大師最澄が夢告により、鏡山十二峰の一つ星ヶ峰の麓に建立したと伝えられる古刹である。嵯峨天皇の願いによって建立された寺院で、最盛期には「増坊三百坊」と称されるほどの規模を誇った。
また、西光寺は宗教史のみならず政治史の舞台ともなっている。
元弘3年(1333)4月20日、足利尊氏が後醍醐天皇に服従を表明した地であり、さらに源頼朝が宿泊したとの伝承も残されている。
しかし、康平2年(1059)の乱で一度焼亡し、その後中興されるものの、天正元年(1573)、織田信長の兵火により廃寺となった。現在、西光寺の往時を伝える遺構は多くないが、その象徴的存在がこの宝篋印塔である。
この宝篋印塔は鎌倉時代の作とされ、国の重要文化財に指定されている。
特に注目すべきはその意匠で、塔身に向かい合う孔雀の彫刻を配し、さらに石の稜角部に梟(ふくろう)を刻むという、他に類例のほとんど見られない構成をもつ。
発掘調査では、骨壺片や土師器が出土しており、複数人の埋葬に用いられていた可能性が高いと考えられている。宝篋印塔が単なる経塚的存在ではなく、供養・埋葬の場として機能していたことを示す重要な資料である。
塔身を鳥形とする宝篋印塔は、京都上京区にも一例が知られているが、個人所蔵のため自由な見学はできない。その点、竜王町の宝篋印塔は、研究者・一般双方が現地で直接観察できる希少な作例であり、学術的価値はきわめて高い。
なお、この鳥形意匠は、宝篋印塔の源流とされる中国の金塗塔の系譜を示すものとも考えられており、日本の石造仏塔史を考える上でも重要な位置を占める。
西光寺跡の宝篋印塔は、
地方に残された一石造物でありながら、
宗教史・美術史・葬制史を横断的に考察させる力をもつ存在である。
静かな里山の一角に立つこの塔は、
過去の厚みを、今も確かに伝えている。

