本稿の叙述は、主として後世史料および研究書、ならびに現代の歴史表象に基づいており、同時代一次史料による厳密な再構成ではない点を、あらかじめ断っておきたい。
NHK連続テレビ小説『ちりとてちん』のヒロイン和田喜代美を演じる貫地谷しほりが、大河ドラマ『風林火山』において、山本勘助の子を身ごもり、武田信虎に殺された女性「ミツ」を演じていたと気づいたとき、二つの作品が思わぬ形で結びついたように感じられた。
朝ドラの軽妙な語り口と、大河ドラマの重厚な戦国描写。その落差が、同じ俳優によって架橋されていることに、視聴者としての新鮮な驚きがあった。
とりわけ印象深いのが、『風林火山』終盤に描かれる川中島合戦である。
川中島といえば、「鞭声粛々夜河を渡る」という一句が、詩吟や講談を通じて広く知られている。この言葉は、上杉謙信軍が夜陰と霧に紛れて千曲川を渡り、武田軍の意表を突いた行動を象徴的に表現するものとして語り継がれてきた。
ただし、「鞭声粛々夜河を渡る」という表現は、同時代史料に直接確認できる語句ではなく、後世の軍記・詩文・語り物を通じて定着した表象である。本稿では、これを史実の逐語的再現としてではなく、川中島合戦を象徴的に表現する後世的イメージとして用いる。
幼い頃、曾祖母から語り聞かされた川中島の物語もまた、この表象と深く結びついていた。
武田軍の動きを察知した上杉軍は、馬の口を縛り、鞭打つ音すら立てぬようにして、闇夜と霧に紛れながら密かに千曲川を渡り、陣地を移動したという。
啄木鳥戦法――武田軍が妻女山を奇襲し、別動隊で挟撃する作戦――は、結果的に空振りに終わり、妻女山はもぬけの殻となった。
朝、川中島一帯を覆っていた深い霧が晴れたとき、八幡原に布陣する上杉軍と突如相対することになった武田軍は、想定外の決戦を余儀なくされる。
ここに、死闘として知られる第四次川中島合戦が展開する。
この戦いの中で、山本勘助は命を落とす。
その最期は、物語としては「悲劇の軍師」という英雄像を完成させるが、同時に、戦国という時代が孕んでいた苛烈さを象徴する出来事でもある。
なお、NHK大河ドラマ『風林火山』は、当時の研究成果を積極的に取り入れた作品であるが、あくまで現代の視点から再構成された歴史表象である。本稿では、史実そのものではなく、現代における戦国像の受容の一例として参照している。
こうした英雄的叙述に対し、視点を大きく転換させるのが、舘鼻誠『戦国争乱を生きる――大名・村、そして女たち』である。
本書は、合戦や武功を中心とした美化された戦国像ではなく、戦争が社会にもたらした現実――飢饉、略奪、村落の疲弊、そして女性の被害――に光を当てている。
とりわけ印象的なのは、「乱捕り」という行為の具体的な描写である。
敵地に乱入し、物資や女性を略奪する行為は、近代以降に形成された「清廉な武士像」からは大きく乖離する。しかしそれは、戦国社会において決して例外的な出来事ではなかった。
さらに本書は、武田信玄の男色関係や、少年に宛てた起請文の存在にも触れている。
中世社会において男色は特異な行為ではなく、主従関係や情誼の一形態として広く存在していた。
勇猛果敢な戦国大名という単純化された像の背後に、人間としての信玄の姿が立ち上がる。
同様に、桶狭間の戦いにおける今川義元の最期も、通俗的な「公家風で軟弱な大名」というイメージとは異なる。
義元は激戦の中で討死しており、そこには一人の戦国武将としての矜持が見て取れる。
歴史の「実像」は、時に幻滅をもたらし、時に新たな感動を与える。
虚像を否定することが目的なのではない。
むしろ、虚像がどのように形成され、なぜ人々に必要とされたのかを理解したうえで、実像と向き合うことにこそ意味がある。
「鞭声粛々夜河を渡る」という一句が、今なお人の心をとらえるのは、それが史実か否かを超えて、戦乱の中で息をひそめ、生き延びようとした人々の記憶を象徴しているからなのだろう。
【参考文献】
・舘鼻誠『戦国争乱を生きる――大名・村、そして女たち』
・NHK大河ドラマ『風林火山』(2007年)
